3年前の今日、最後に食べたメシと最後に飲んだ酒

3年前は土曜日でした。かぁかとガッツは帰省中。夜ごはんはどうしよかと考えていて、淡路屋に行けば父母がいてるやろうと、風呂に入り身支度を済ませました。

 

出かける前に、ベランダから洗濯物を取り入れ、リビングのソファに洗濯物を重ねていた時、電話が鳴りました。親友からの着信。

親友とは互いに仕事が忙しく、2週間ほど会っていませんでした。(電話では毎日のように話していましたが)2人が大阪に戻ってからは、1週間以上も会わないなんて事はなかったんじゃないかと思います。

 

「やすにおるけど、どう?」

久しぶりに親友と会えると喜んだ自分は、淡路屋のことは頭から一瞬で消え、行くわ!と即答。焼肉やすへと向かいました。

 

やすに入り、奥の座敷へ進むと、向かって右奥の席に親友、親友の膝には娘ちゃんが乗っかり、右手前の席に奥さんがいました。

俺は親友の隣に座り、生ビールを注文。久しぶりやなと話し始め、一緒に焼肉を食べました。

親友は、この日もいつも通りの世話焼きで、焼けた肉をトングで掴んでは次々と俺の取り皿に乗せていきました。

「おまえも食えよ」

と言うと、

「食うてるよ」

と返し、また俺の取り皿に肉を乗せました。

親友は、締めに珍しく冷麺を大盛りで注文していて、やっぱり食うてへんかったんやと笑いました。

 

お腹いっぱい食べ、2人で何杯もビールを飲み、解散しようと話してたら、親友は

「やっぱり南国行こ」

と言いました。

南国ではその日、自分たち世代がお世話になった先生の定年退職祝いの集まりがありました。ただ、先輩方や後輩たち中心の企画で、俺たちの同級生は女連中だけの参加やったので、事前に2人で欠席の返事をしていました。

 

親友がその気になったんならと、南国に行っとくわと言って、やすに立ち寄ったヤスのお姉ちゃんに電話をかけました。すると、南国はいっぱいで入れなかったので、入れなかったメンバーは別の焼鳥屋で飲んでるとの事。

 

親友に事情を話し、俺らも焼鳥の方行こかと話しましたが、親友は

「いや、南国に行こう」

と言うので、覗くだけでも行こかと店を出ました。会計の半分を渡すと、ココはいいから次頼むわと言って奢ってくれました。

 

企画した年の人らが入れんかったなら俺ら無理やでと話しながら、親友宅の前で奥さんと娘ちゃんと別れました。2人で自転車を漕いで南国へ向かい、店の前に自転車を置き、中へ入りました。

 

店に入ると、たくさんの人で1階も2階も満席。みんなに

「先生ら2階おるで」

と、2階に案内され、結局そのまま南国で飲むことになりました。

 

南国で、俺と親友は多分一言も話してないんちゃうかと思います。それぞれが誰かしらに連れて回られ、それぞれが懐かしい先生方と話していました。

 

どれくらい時間が経ったのか、気がついたら俺はカウンターに突っ伏して寝ていました。目が覚め、左隣を見ると、全く同じように寝ている親友の姿がありました。そこで初めて、南国に入り2人一緒になりました。2人の前には焼酎が入ったグラスがあったと思います。まだまだ賑やかな店内、俺が起きたので、周りの人が親友に起きやと声をかけていました。

 

目が覚めた俺たちは、帰ろかと店を出て、玄関前まで見送ってくれたみんなと、20分ほどかな?長い立ち話をして、これやったら店におるんと変わらんやんと笑っていました。

親友は

「この前、酔った帰りチャリで転けたから、今日はチャリ置いて帰るわ」

と、親友は自転車を置き、俺は自転車を引きながら帰ることにしました。

 

南国から数十メートル、しょうもないこと話しながら、日付が変わった24日。俺と親友はお別れしました。

 

しばらくして南国に行き、店主の後輩とモツ焼きを食べ、生ビールを飲みながら話していました。

「あの日、お金払ってないで!笑」

と、笑いながら話す後輩。

 

「あっ!俺が2人分出さなあかんねん‼︎焼肉はアイツが出してくれたから」

あの日の分のお金を渡そうとすると、もうええわと受け取らなかったので、

 

「じゃあ、俺たち2人のボトル入れて」

焼酎ボトル2本それぞれに、俺と親友の名前を書きました。

 

あれから、3年…地元のみんなは、支えあって日々を過ごしています。

支えてもらえなかったのは南国だけで、俺たちのボトルはどうなったのでしょう…と、時々思います。

 

親友、俺はおまえのことを思わなかった日は1日もない。みんなが各々そう思っているように俺も、いつも俺の近くにいてると信じて感じて、毎日おまえと会話してる気でおる。近くおるやろ?

 

明日、アサヒビール持って行くわな。

待っとけよ!